③11月7日
空が段々と明るくなっていきました。
これから私はどうなるんだろう…
また笑って過ごせる日はくるのだろうか…
赤ちゃんは亡くなってしまって、
泣くことも、食べる事さえも出来ないのに、
私は生きていていいのだろうか…
そんな事を考えてました。
でも、私の気持ちとは関係なく、
赤ちゃんを産む為の処置はどんどん進んでいきます。
9時頃からは、
促進剤の投薬も始まりました。
担当の先生も私の様子を何度も見に来てくれます。
30代の小柄な聡明な女性、O先生です。
良い時も悪い時もいつも変わらない
テンポと雰囲気で
「そんなに頑張らなくていいのよ。
貴方はすでに頑張ってる」
ごめんなさいが口癖の私に、
「謝らなくていい。」
って何度も言って下さいました。
助産師のNさんも、
この日、ずっと私に付いていてくれ、
1日中、私と一緒に泣いてくれました。
促進剤を投与しても、
急激にお腹が張ったり、
痛くなる訳ではありません。
私がぼーとしていると、
助産師Nさんから提案が…
「ラジカセがあるので、
何か音楽をかけませんか?」
聴きたい音楽なんてない。
でも、ふと思ったこと…
「ラジオは聴けますか?」
私はラジオが好きで、
その時、ラジオから流れる、
日常が聞きたかったのです。
私は、どん底だけど
世の中はいつもと同じように時間が流れているのを感じたかった。
いつも聴く声に
軽快なトーク
暫く聴いていると、
ある音楽が流れてきました。
マイケル・ジャクソンの「l'll be there」
この曲は、私達が披露宴の入場で使った曲です。
横を見ると、夫が静かに泣いています。
あの日、私達は、幸せでいっぱいでした。
そして、この幸せがずっと続くものだと信じていました。
8ヶ月前の記憶はまだ鮮明で、
それが逆に苦しくて、
私は夫に
「こんな事になってしまって
ごめんなさい。」
と言いました。
夫は、少し微笑んで、言いました。
「久美ちゃんのせいじゃないよ。
2人で、乗り越えよう。」
私の気持ちはこの状況にまだついて行けるはずもなく、
何も考えられない状態で
全ての判断は夫に任せていました。
そんな気丈な夫が流した涙は、
今も忘れられません。
お昼を過ぎると、
いよいよ、本格的な陣痛が始まり、
話す事は勿論、
呼吸をする事さえ辛くなってきました。
ただでさえ辛い初産。
産まれてくる赤ちゃんの為に頑張るお母さん。
私はもう頑張れない。
それは、
赤ちゃんが泣かないのを知っているから…
心が限界でした。
私は助産師のNさんに言いました。
「私はもう頑張れません。
私を眠らせて、
帝王切開で産めませんか?」
Nさんは、少し間をおいてから、
困ったように、
「帝王切開は医師の判断がないと
出来ないの。
それにね、
今は考えられないかもしれないけど、
久美子さんが、もし、
また赤ちゃんが欲しいと思って妊娠して、
出産ってなった時に、
今回帝王切開にしたら、
きっと後悔する時がくると思うの。
ね、だから頑張ろう。
久美子さんには支えてくれる人もいっぱい
いるし、
ここまで頑張ったじゃない。」
Nさんは泣いていました。
それから、2時間ぐらい頑張ったのかな…
分娩室に移動して、
人口破水させて、
意識が朦朧とするなか、
私は初めての出産を終えました。
産まれたのは、
800グラムもない小さな小さな女の子でした。
助産師のNさんの言葉通り、
私は後に、長男、次男、男女の双子を普通分娩で出産します。
帝王切開で産める人数は限られているので、
この時に帝王切開にしていたら、
双子は産めなかったかもしれません。
Nさんへ…
私、4人の可愛い子ども、
産めたよー!!
あの時は、本当にありがとうございました。
あなたの優しさは忘れません。
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